生と死

みなさんは「産まれる」という言葉にどんな感情を抱きますか?

 

 

僕は少年時代、両親の親戚や友人が出産をした時にみんなが笑顔を並べて嬉しそうにその出来事をお祝いするから「産まれる」ことはとても素晴らしいことだと思い込んでいました。

 

 

その一方、両親の親戚や友人が亡くなった時にみんなが涙をこぼしとても寂しいつらで葬式をするのを見て「死ぬこと」はとてもひどいことだと思っていました。

 

 

でも本当に最近になって産まれることと死ぬことに対してなんの感情も持たなくなりました。

 

 

なんで?

 

 

だって産まれるということはつまり死ぬこと、産まれたからには必ず死というものが付きまとうことに気づいたからです。

 

 

食べると用を足す、息を吸うと吐く、まぶたを開くと閉じる、運動すると休む、それとまったく同じ。男がいるのは女がいるから。それとまったく同じ。プラスが成り立つためにはマイナスが必要、人間としてこの地球にきたからにはただのプロセスのひとつにすぎない。生きるということは死ぬということ。

 

 

要するに、必ず起こることに対して感情を抱いても何も変わらない。

 

 

それをまず受け入れることが自分の魂の成長に必要なことなのかもしれない。

 

 

僕がこんなことを書くきっかけとなったのはつい先日の大雨。九州地方はかなりひどく、それで人が死んだ。

 

 

ここで疑問が湧いた。

 

 

なんで人が死ぬことをわざわざテレビやメディアで放送する必要があるのか。

 

 

私たちの身の回りでも誰かが亡くなるとそれは大ニュースになる。若ければ若いほど大ニュースになる。

 

 

でも、死ぬことは当たりまえ。なんで死ぬことが当たりまえではないように振舞っているのか?なんで私たちは永遠と生き続けるかのように振る舞うのか?なんで私たちは80代、90代まで生き続けると勝手な予定を作っているのか?

 

 

友人、親戚、両親、兄弟が死んだ時に二つの感情が私たちの心の中に見れます。

 

 

一つ目は相手に対する愛着心、私たちが預けた自分の心、愛の一部が途端に無くなったことに対する怒りと悔しみ。人を愛しすぎると私たちは自分の一部を相手にあげてしまうことがあります。僕も度々そういう経験をしたことがあります。相手に何かが起こるということはつまり、自分のその一部分に何かが起こる。それが離れてしまえば寂しくなる、それがなくなったらかなりのショック状態になる。愛着心についてはまた新たな記事で書きたいと思っています。

 

 

二つ目は相手がすぐ死なないというほぼ100%の無意識的な確信が貫かれたことに対する驚き。もし死というものを前もって受け入れていればこのように思わないかもしれません。そしたらそのようなことを聞いてもネガティブや否定的に思わなく自分が影響されにくくなります。

 

 

長々となってしまいましたが、この記事で何を言いたいかはつまり、死ぬことを当たりまえと思うことがみんなにとって大事である。生まれてきたからには必ず死ぬ。でもこの事実って本当にわすれがちです。僕もいつも忘れています。絶対死なないように振舞っています。

 

 

でも死ぬことが当たり前だということを忘れてしまうと自分の心が奪われてしまいます。もし友人や親戚や家族が死んだり、災害で人が死んだ場合に怒り、苦しみ、悲しさなどのネガティブな振動に囲まれてしまいます。いい気持ちでなくなります。

 

 

だから死を受け入れてください。そうすると何かがあっても自分はいつもの自分の状態でいられます。

 

 

また、死を受け入れることで毎日がより充実します。

 

 

僕の素晴らしい友はいつもこう言います。

 

 

「遊、明日しぬかもしれないんだよ。だから今たくさん楽しんで。これ本当だよ。」

 

 

これを言われるたびに毎回死ぬことが当たりまえだと思い出します。

 

 

そして言われるたびに日々生きることがより深い価値ある素晴らしいものだと思わされます。

 

 

みなさんは死をどう思いますか?

**書いてる記事はあくまで自分が経験したことから述べています。たまに変な日本語を使うかもしれません。あと、僕みたいな考えを持っている人もいるんだなと何か参考になっていただければ嬉しいです。